50代のおひとり様予備軍が始めた「放活(はなかつ)」──生前整理の第一歩、1ヶ月目の記録(2025年5月)
2025.06.03

もくじ
放活(はなかつ)とは?
おひとり様をサポートするボードゲーム系社労士&ファイナンシャルプランナーの徳本です。
とつぜんですが、筆者はこの5月から「放活(はなかつ)」を始めました。
放活とは、「手放す生活」の略(筆者の造語)。
世間一般には「捨て活」といった方が通じやすいとは思いますが、単に「捨てる」ではなく、モノに感謝しながら、新たな場所へ送り出すような感覚で名づけた、私自身の暮らしの整理術です。
不用品を捨てるだけでなく、リユース・リサイクル・譲渡・寄付といった手段も積極的に取り入れています。
「お疲れ様でした。今までありがとう」とリリースする感じ。
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なぜ今「放活(はなかつ)」なのか
「放活(はなかつ)」は「生前整理」のひとつです(イメージとしては、生前整理の準備段階のようなかんじですかね)。
「生前整理」とは自分が元気なうちに自分の身の回りのモノを整理しておくこと。
これに対して、亡くなったあとにするモノの整理は「遺品整理」と言ったりします。
筆者は仕事柄(身寄りのない方などの成年後見人として業務を行う法人の事務局長をやっています)、これまで何人ものおひとり様の先輩方をお見送りしてきました。
その際に「遺品整理」の現場にも立ち会ってきました(成年後見業務はご本人さまが亡くなると業務は終了するのですが、引継ぎのために亡くなった後もある程度関与することがあります)。
残された不動産(家土地)については、「負動産」なんて言い方もあるようにかなり問題意識が共有されてきましたが、実は動産類(モノ)の処分も思った以上に大変なんです。
当然、モノの処分には「お金」がかかります。
でも、それだけじゃありません。
処分に伴う「時間」と「労力」もかなりのものです。
想像の3倍くらい。
そういう場面に立ち会うたびに「元気なうちに自分のお金と時間と労力を使ってやっていれば、他の人に迷惑かけなくて済んだかもしれないのに」と思っていました。
でも、「生前整理」って「言うは易し行うは難し」の見本みたいなものなんです。
かく言う筆者も、「いつかやらなきゃ」とどこか他人事のようにとらえていて、自分事としては手付かずな状態が続いていました。
それでもようやく「放活」スタートさせることができました。
きっかけは、親が要介護認定を受けたこと。
そして気付けば、おひとり様予備軍の自分も50代の半ばに近づいていること。
ちなみに筆者の属性は、50代前半の未婚男性で両親と同居の「こどおじ」です。
「これ、私が急にいなくなったら、親はどうするだろう?」
「逆に、親に何かあったとき、私は片付けの負担に耐えられるだろうか?」
「あれ、もうカウントダウン始まってる?」
そう思ったとき、ようやく行動に移せました。
動くなら「今」しかない。
「50代おひとり様予備軍&同居の親」にこそ放活が必要な理由
いいえ、むしろ50代の「今」こそ放活に絶好の機会のように思います。
理由はシンプル。
自分も両親も、
- まだ気力と体力がある
- 必要な経済的負担にも耐えられる
- 自分でコントロールできる時間が増えている
やらない理由がないんですよね。
しかも、モノを処分するにあたって両親との会話が増えました。
「これは高校のときのだ。まだあったんか」
「(母が)結婚したときに持ってきたもの。これは置いておいて」
などと思い出の共有もできます(これをやりすぎると進まないのですが)。
放活は単なる片付けではなく、未来への備えと、親子の対話のきっかけづくりです。
おひとり様予備軍の自分が50代になった今だからこそ、親とゆっくり向き合う時間の大切さを知っています。
モノを大切に手放しながら、自分たちの残りの時間を整えていく。
これはこれでとても貴重な時間なのかもしれません。
この1ヶ月で「手放してよかったモノ」3選
前置きが長くなりましたが、ここからはこの1ヶ月で「手放してよかったモノ」を3つご紹介します。
着なくなった衣類や靴、キッチン回りのモノもそれなりに手放してきましたが、ここでは我が家ならではのモノをピックアップしてみました。
1. 押し入れに眠っていたブラウン管テレビなど(なんと5台!)
気づけば、押し入れの奥にブラウン管テレビが4台と液晶テレビが1台で合計5台も眠っていました。
どれもかつての生活の名残ですが、今では当然使わず、動かすのも一苦労(中には筆者が高校生の時に使っていた自室の小型テレビもありました)。
これは押し入れの収納力の罠ですね。
古い家あるあるですが、我が家は無駄に押し入れの収納スペースだけはあるんです。
いったん押し入れに入れてしまえば、視界に入ることもないので、つい後回しになってしまいます。
でも、存在そのものを完全に忘れているわけではないんです。
「いつか捨てなきゃ」が心のどこかでモヤモヤしている状態です。
まさに「押し入れの罠」。
今回、放活の先陣を切って眠っていたブラウン管テレビを処分してみて、使っていないモノに場所を占領されているのは、実は心の重荷にもなっていたことに初めて気づきました。
業者に引き取りをお願いして、数十年越しにようやく手放せてスッキリしました。
リサイクル料金だけでなく運搬費用もかかりましたが、ここはちょっとお金をかけてもいいかなと思いました(ちなみに、消費税込みで1万8000円くらいかかりました)。
2. ガーデニングの植木鉢や植物たち
かつて母が楽しんでいたガーデニングの植木鉢や植物たち。
庭づくりが大好きだった母ですが、ここ数年で足腰が弱り、世話が難しくなってしまいました。
外に出るのも億劫になって、家の中で過ごす時間が増えていたのです。
筆者も水やりなどはやっていたのですが、どうしても手入れがおろそかになって、見た目もみっともない状態になっていました(自分で言うのもなんですが、「お化け屋敷」状態でした)。
そこで、農家をやっている母方の実家にお願いして、引き取ってもらうことにしました。
軽トラックで2往復。
ついでに父が張り切って残った庭の植物の剪定をばっさばっさとやってくれました。
これは効きましたね。
毎日の帰宅が気持ちいいんですよ。
そして、もう一ついいことが。
それは、「(実家に)植物を見にいこう」と母を外に連れ出すちょうどいい口実ができたことです。
通院くらいでしか外出したがらない母も、これはまんざらでもないようです。
3. 祖母の小料理屋時代の食器類
「押し入れの罠」第2弾なのですが、それは祖母(すでに他界しています)が昔小料理屋を営んでいたときの食器類です。
これも押し入れの奥に眠っていました。
祖母が小料理屋をやっていたのは50年以上前の話(筆者が物心つくころにはもうやめていました)。
ただこれらの食器類は、祖母が小料理屋をやめた後も、筆者が子どもの頃には、まだ親戚が集まるときなどに使われていたのですが、いつの間にか親戚が集まることもなくなっています。
そうして、使わなくなってからは数十年触れていなかったのです。
食器としての役目はとうに終えています。
ようやくお休みしてもらうことができた感じです。
今回の「放活(はなかつ)」で祖母にも「お疲れ様でした」と言えた気がします。
まだ手放せないモノたち──「好き」と「思い出」との折り合いをつける
放活を進めるなかで、手放してスッキリしたモノがある一方で、まだどうしても手が付けられないモノたちもあります。
本──「青春」が詰まっているからこそ、簡単には手放せない
高校生の頃に夢中になって読んだ漫画、大学時代に夜通し読みふけった小説。
本棚や段ボール箱の中に並ぶそれらの背表紙を見るたびに、当時の空気感や感情が一気によみがえるんです。
「これが好きだった自分を、まるごと手放す気がして……」
そんな思いがよぎって、どうしても処分に踏み切れません(いい年したおっちゃんでもこういう感情はあるんですよ)。
それでも、まずはあまり思い入れのない本、きれいな状態のものから売却を始めてみることにしました。
「全部じゃなくていい」「厳選して残す」という選択肢があることで、少しだけ気持ちが前に進めた気がします。
CD・DVD──今でも“音”や“映像”が記憶を揺さぶる
音楽や映画もまた、記憶と強く結びついたメディアです。
よく視聴しているお気に入りは残しますが、正直なところ、「もう聴かない(視ない)だろうな」というものも多いんです。
でも、買ったときのワクワクや、そのときの生活や心境がふとよみがえってきて――なかなか判断がつきません。
何より「これ、また買おうと思っても、もう買えないよな」
これもブレーキがかかる理由です。
保留でもいいじゃないという開き直り
最近は、サブスクも検討中です。
今は本も音楽も映像もサブスク時代です。
物理的なモノにしがみつかずに済むのかもしれない。
“データで残す・データを楽しむ”という選択肢が、心の整理の助けになりそうだと思い始めています
手放せるモノがある一方で、まだ「向き合うことすら迷う」モノもある。
それでも、「いまは手放せない」と気づくことも、放活の大切な一歩なのだと思います。
「愛着」と「執着」は別のものとは理解していますが、ここはいったん保留してみてもいいかなと思っています。
「保留もあり」これが放活1ヶ月目の正直な感想です。
おわりに──放活は3つの「り」メイクの実践
放活(はなかつ)を始めて、まだたった1ヶ月。
それでも、押し入れの奥で眠っていたモノたちを手放しながら、少しずつ心と暮らしの風通しがよくなってきた気がします。
まさに「ゆとり」が生まれています。
それに特に印象に残っているのは、モノを減らしたことよりも、両親との会話や外出のきっかけができたこと。
手放すことで生まれる「つながり」があることに気づかされました。
もちろん、まだ手放せないモノもあります。
でも、「今は手放せない」と分かったこと自体が、ひとつの大切な“整理”なのかもしれません。
大事なのは、完璧を目指すことではなく、自分の気持ちに素直に向き合いながら一歩ずつ進むことだと感じています。
こうして少しずつでも生前整理を進めていくのはまさに老後の「まもり」を固めること。
「放活(はなかつ)」は「ゆとり」「つながり」「まもり」の3つの「り」メイクの実践なのです。
これからも、月に一度くらいのペースで「放活記録」を残していこうと思います。
読んでくださった皆さんも、よければご自身の「手放したもの」「まだ手放せないもの」を、ぜひ振り返ってみてください。
それが、思いがけずやさしい未来への準備になるかもしれません。
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