50代のおひとり様予備軍が始めた「放活(はなかつ)」──生前整理の第一歩、3、4ヶ月目の記録(2025年7月後半~9月前半)
2025.09.11

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もくじ
大型家具・押し入れ・書類整理で空間と心をスッキリ軽く
おひとり様をサポートするボードゲーム系社労士&ファイナンシャルプランナーの徳本です。
5月から始めた「放活(はなかつ)」も気が付けば、もう9月も前半が終わろうとしています。
“手放す生活”という意味を込めたこの言葉には、単にモノを処分するだけでなく、「暮らしを軽くして、心にも余白をつくる」という願いを込めています。
まさに「ゆとり」の「り」メイク実践です。
今回は、2025年7月後半から9月前半までの記録です。
「大型家具との格闘」、「押し入れの罠 第二弾」、「書類シュレッダー祭り」といった内容をお届けします。
大型家具との格闘 ― 同居暮らしの片付けで得られた空間と心の軽さ
まずは、大型家具。
大型家具は、ひとりでは運ぶことも困難で、下手をすれば大怪我をしてしまう取扱い注意物件です。
幸いうちは父が元気でいてくれるので、筆者とふたりでなんとか動かせる範囲のものを処分しました。
特に二階からの移動は慎重に慎重を期しましたが、実際にやってみるとかなり危険な作業で、これは業者に依頼するのもありかもと思っています。
危険な書棚の処分で得た「安全な空間」
前回、大幅に書籍の処分を行ったので、書棚を手放すことにしました。
この書棚は、筆者が小さいころに百科事典を収めるために購入したらしく、立派なつくりで、両開きのすりガラス扉になっていました。
ところが、半年くらい前に母が転倒した際に、そのすりガラス扉にぶつかってしまい、一部が割れてしまいました。
母に怪我はなかったのですが、当たり所が悪ければどうなっていたか。
ガラス部分を撤去して使っていましたが、さすがにこれは手放そうと決めました。
父とふたりで二階から一階に降ろす作業もスリリングでした。
大型家具はときに凶器になる。
大型家具を手放すことは、「安全な空間」を同時に手に入れることなのかもしれません。
あって当たり前の座敷机を手放す勇気
一階の和室には、真ん中に堂々と大きな座敷机が鎮座していました。
両親が今の家を建てたときに買ったものです。
家には「あって当たり前」の存在でした。
ただ、経年劣化によるひび割れも出てきていましたし、何より和室に座って過ごす時間が体力的に続かなくなってきていました。
うちでこの座敷机を好んで使っていたのは、猫だけでした(夏場はベッド代わりに、冬場は下に隠れて丸まっていました)。
両親の思い入れもあるだろうと思い、どうしたものかと思っていたのですが、思い切って、「古いし重いし大きいし、そもそも使うことも少ないし、思い切って処分してみない?」と聞いたところ、意外にあっさりと「そうしようか」という話でまとまりました。
いざ、手放してみると、それはそれは部屋が広くなり、ごろ寝スペースとして使える空間ができあがりました。
猫用には小さな折り畳みの机を置いてあげました。
「あって、当たり前」は全然当たり前ではなかったようです。

無理やりボードゲーム棚としてつかっていた背の高いタンス
筆者はボードゲーム系社労士&ファイナンシャルプランナーを名乗っているとおり、趣味はボードゲームです。
ボードゲームは、コンポーネントを実際に手に取って遊べることが魅力のひとつですが、それは「実物」がそこにあるということです。
しかも、大箱といわれるものであれば、それなりの重さも大きさもあります。
つまり、とにかく「かさばる」のです。
10個や20個程度であればそれほど問題なく収納できますが、これが50個、100個となってくると・・・
かく言う筆者も、放活(はなかつ)を始める前は、結構無計画にボードゲームを購入してしまう癖があり、ボードゲーム収納問題を抱え込んでいました。
そこで、とりあえずの処置として、背の高いタンス(2メートルくらい)に押し込んでいました。
しかし、これが使いにくい。
大きいので収納力はあるのですが、中に何が入っているのかわからないし、高いところだと取り出しにくいし、結局よく遊ぶボードゲームがなんとなくそこらに置いてある状態。
そこで、まずはボードゲームの棚卸も含めて、いったん全部出してみて、使いにくいタンスは処分することにしました。
背が高く圧迫感があったので、それを手放したところ、視覚的にもかなりスッキリしました。
ただ、そこにはあまたのボードゲームたちが・・・
ボードゲーム収納問題は永遠の課題になりそうです。
押し入れの罠 第二弾 ― お宝発見なるか!? 思い出も空間もスッキリ
さて、次は居間の押し入れに挑戦です。
前回は別の部屋の押し入れに挑んで、古いテレビなどを処分してみましたが、居間にも「押し入れの罠」がごっそり詰まっていました。
ここまでくると宝探し感覚で、だんだん楽しくなっている自分がいます。
箱入りの頂き物|もったいないブロック解除で「使える暮らし」へ
居間の押し入れには、たくさんの「箱入り」の品が積みあがっていました。
30個以上あったでしょうか。
ほとんどは、タオルや食器、ティーセットなど未使用の頂き物でした。
たしかに、ティーセットとかもらっても使わないし、そうそう取り換えるものでもないから、いったんしまい込んだら、そのままになってしまうのも仕方がないことかもしれません。
ただ、どこに何があるかすら把握していなかったので、必要なときが来ても出せずに、新しいものを買ってしまうなんてこともあったのではないかと思います。
そして何より「新しいものを使うのはもったいない」という心理的抵抗感はたしかにあります(筆者はこれを「もったいないブロック」と呼んでいます)。
まずは、このもったいないブロックをキャンセルして、今使っている古くなったものと交換していきました(古くなったものは、まだ使えたとしてもこちらは手放しました)。
それでも使い切れなかったものは、さすがに廃棄処分は忍びないので、どこに何をしまったかをリストにして、必要なときに出せるようにしています。
祖母の茶道具―捨てずに活かすインテリア選択
そういった「箱入り」シリーズの中に混ざって出てきたのが、亡くなった祖母の茶道具でした。
祖母は多趣味な人で、そういえば筆者が小さいころには、家でお茶の教室みたいなことをしていて、何人もの若い女性の方が来ていたような記憶があります(筆者は余った和菓子をもらって喜んでいました)。
出てきたのは、多分祖母が使っていたであろう、茶釜、風炉(ふろ)、小四方棚(こよほうだな)、桑小卓(くわこじょく)などでした。
ちなみに、茶釜以外のものは名前も使い方も知らなかったので、写真にとって画像検索で調べました。
で、これらをどうしようかと。
捨てるのは簡単なんですけど、祖母が使っていたものだし、高価なものではないのでしょうが、何とも言えない味わいがあるんですよね。
モノは「使う」か「飾る」か「ストック」かの三択だと思っているので、ここは「飾る」を選択。
綺麗に拭いて、床の間に飾ってみました。
これがいい。
猫と一緒にごろごろしながら、ふと床の間に目をやると茶釜と風炉が小四方棚(こよほうだな)と並んでがそこにある。
存在感はあるのに出しゃばらないかんじ。
あまり個人的には「飾る」という選択肢は採らないのですが、これは大正解だったと思います。
なお、桑小卓(くわこじょく)は使い込んであったので、別のところに「飾る」ことにしました。
今回「箱入り」シリーズの中には、いわゆる「箱書き」つきの茶碗(萩焼)や花瓶、香炉、茶入(ちゃいれ)など、価値があるのかはわからないけど、結構感じのいいものがいくつかあったので、そういったものを飾るための棚として使ってみました。
こちらもなかなか雰囲気がいいので気に入っています。
「安らぎの空間」ができあがったような気がします。
7台の古い携帯電話―通信の歴史を手放すとき
ここまでは、なんかいい話っぽくなっちゃいましたが、やはりうちはうちでした。
なんのために貯めているのかわからない、両親のものや筆者のものを合わせて、古い携帯電話7つを発掘(うち1つは2年くらい前まで使っていた筆者のスマホも入っていますが)。
あまりに懐かしいので、記念写真撮っちゃいました。
これらは、ドコモショップに持参して、無料で廃棄処分(リサイクル)してもらいました。
ちょっと恥ずかしかったですが、ちゃんと手放せてよかったです。
店員さんも丁寧に対応してくださって、感謝しています。
ちなみに、筆者が気に入っていたのは、スライド式のガラケーです(写真の中央の下側のもの)。

おまけ:昭和62年家電チラシ発掘―押し入れはタイムカプセル
最後は、おまけですが、押し入れの罠にありがちな、昔の新聞やチラシです。
押し入れはまさにタイムカプセル。
今回は昭和62年4月11日付の家電量販店(50代以上の萩市出身の方なら「ダイイチ」といえばピンとくるのではないでしょうか。今はエディオンになっています)のチラシが結構いい状態で出てきました。
個人的には「レーザーディスク」が気になってしかたない(当時ほしかったけど、高校生のお年玉では買えなかった)。
あと、ラジカセやウォークマンのくくりが「テレコ」って表記になってるのも面白いですね(調べたら「テープレコーダー」の略だそうです。個人的にはあまり使ったことない表現です)。
しばし、青春時代にタイムスリップした時間でした。
当時は、こういうチラシを見て、買えるあてもないのに、憧れの家電を想像して、わくわくしていました。
もうひとつ、このチラシをみて「あの頃はよかったな~」と思ったのは、消費税表記がないんですよ。
それもそのはず、消費税導入は平成元年(1989年)4月。
平成元年は昭和64年ですから、このチラシの世界(昭和62年)の2年後には「消費税のある世界」が待っているんですね。
いろいろと考えさせられます。


書類シュレッダー祭りーなんでこんなの保存してたんだろうか
今回は、自室の書類棚の奥底に眠っていた数々の書類をシュレッダーにかけていきました。
一応、中身は確認するのですが、「なんでこれ何十年も保存してるんだろう」を我ながら疑問に思うものばかり。
何日かに分けての作業は、シュレッダー祭りと呼ぶにふさわしいイベントでした。
主な書類としては、
- 数十年分の給与明細書
- 医療関係書類(レセプトや誓約書の控えなどなど)
- 保存期間をとっくに過ぎた領収証
といった、今となっては何の役にも立たない紙資料ばかり(なお、社労士として付言すると、古い医療関係書類は、その傷病が原因で他の傷病を発症したり、時間とともに悪化して障害が発生したような場合に、障害年金の初診日を特定する資料になる可能性もあります。なので、全く役に立たないというわけではないのですが、これはかなり稀なケースです)。
こういった書類をシュレッダーにかけながら思ったのは、「あっても邪魔にはならないだろう」「とりあえずとっとこか」的な発想でため込んでしまったものは、定期的にチェックしていかないといけないなということです。
そのためには「いつまで取っておくかのルール」(給与明細なら未払い給与の消滅時効期間経過後とか、領収証なら確定申告の保存期間後とか)を明確にしておかないといけません。
自分(の気分次第)ルールではなく客観的なルールを作るのは大切なことです。
おわりに|放活(はなかつ)は「自分縛りからの解放」
ここまで読んでいただいて、まことにありがとうございました。
今回特に感じたことは、放活(はなかつ)は「自分縛りからの解放」なのではないかということです。
「あって当たり前」という思い込み、「もったいないから使えない」という「もったいないブロック」、「とりあえずとっとこ」的な基準のあいまいなマイルール、どれも自分で自分を縛っているものばかり。
こういった「自分縛り」をキャンセルして自分を解放するには、実際にモノを手放すという行動が何か儀式のような役割を果たしているのではないかと思うようになりました。
モノを手放すと、「空間」がスッキリするだけでなく、「心」までスッキリするのはこの辺りに原因があるのかもしれません。
とはいえ、まだまだ手放した方がよさそうなものが我が家にはありそうです。
両親健在の今が放活(はなかつ)のラストチャンスだと思って、これからも動いていこうと思います。
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