法律事務職向 覚えておきたい社会保険の基礎知識 ~交通事故編 その3~
2019.06.22
社会保険労務士と学ぶ 交通事故事務で覚えておきたい社会保険の基礎知識 休業損害②(休業損害と社会保険給付の比較・損益相殺)
オフィス北浦のブログサイトにようこそおいでくださいました。
社会保険労務士の徳本です。
筆者が法律事務職として働いているときにはよく知らなかった社会保険の基礎知識について、法律事務職の皆さま向けにまとめてみたいと思います。
今回は、交通事故編その3です。
ここでは、交通事故の休業損害に関係する社会保険について、筆者が実務上経験したことを交えて、2回に分けてお話ししたいと思います(今回は2回目です)。
今回は、休業損害②として「お金」の話をします。
休業損害(損害賠償)と、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付との比較や、損益相殺との関係について考えていきましょう。
なお、前回少し触れましたが、労災保険の傷病(補償)年金については、少し細かい知識ですので、ここでは労災保険の休業(補償)給付だけを取り上げます。
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具体的な事例を設定して考えていきましょう
休業損害(損害賠償)と、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付を比較するために、簡単な事例を設定してみます。
「お金」の話をする場合には、簡単な事例であっても、具体的に考える方が理解しやすいからです。
設定は次のとおりです。
- 被害者Aさん(30歳。サラリーマン。協会けんぽの被保険者。労災保険の適用労働者)
- 給料:毎月20万円(月給制)※月末締め当月払い
- 昇給:2019.4に19万円から20万円に昇給
- 賞与:6月と12月
- 交通事故の発生日:2019.10.1(朝)
- 療養で休業した期間:2019.10.1~12.31(出勤日0。賃金全額不支給。有給休暇は使っていない)
- 12月の賞与:40万円(本来60万円→40万円 20万円の減額)
前回お話したように、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付の関係は、②が使えるときには③は使えないという関係です。
たとえば、今回の交通事故がAさんが会社にいつもの経路で出勤中であったような場合には通勤災害として②が適用され(①は適用されない)、Aさんが早朝のプライベートでのジョギング中に交通事故にあったような場合には①が適用される(そもそも②には該当しない)ということです。
休業損害(損害賠償)と、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付とを比較してみましょう
このような設定のもとで、Aさんの休業損害(損害賠償)と、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付を比較したものが、次の図(1)です。
(A)~(G)の順番に検討していきましょう。
(A)(B)(C):算出方法と計算方法、1日当りの支給額
まず、Aさんはサラリーマン(給与所得者)ですので、休業損害(損害賠償)については、実損を基礎にしてその全額が賠償されるのが原則です(この点については、社会保険労務士の出る幕ではないので、詳しくは弁護士の先生に確認してみてください)。
つぎに①健康保険の傷病手当金については、傷病手当金の支給を始める日の属する月以前の直近の継続した12月間の各月の「標準報酬月額」を平均した額の30分の1に相当する額の3分の2に相当する金額が、1日分の傷病手当金の額です。
文字にすると、なんだかややこしい方法ですので、前半と後半に分けて計算してみましょう(以前は「標準報酬日額」を基準にその3分の2という計算方法を使っていましたが、平成28年(2016年)4月1日以降はこの方法に変更になりました)。
手順はこうです。
まず、直近の継続した12月間の各月の「標準報酬月額」を平均した額の30分の1に相当する額を出します(この際に1円単位を四捨五入します)。
ここで聞きなれない「標準報酬月額」という言葉が出てきましたので、簡単に説明します。
これは、健康保険料等の計算事務を簡単にするために、「標準報酬月額」として毎月一定の金額を決めておくというものです(残業代などで毎月の給料が増減しても、標準報酬月額を一定としておけば保険料率が変わらない限り、健康保険料等は同じになるという仕組みです)。
この標準報酬月額は毎年4~6月に支払われた給料などを元に再計算されて、その年の9月から新しい標準報酬月額に変わり翌年の8月まで同じ標準報酬月額を使うのが原則です。
詳しいことはここでは省略しますが、Aさんの場合、2018.11~2019.8までの10月間の標準報酬月額は19万円、2019.9~10の2月間の標準報酬月額は20万円(2019.4の昇給が反映されて標準報酬月額が変わった部分です)としておきましょう。
そうすると、Aさんの直近の継続した12月間の各月の「標準報酬月額」を平均した額の30分の1に相当する額は、
(19万円×10月+20万円×2月)÷12月÷30=6390円(端数処理済み)
となります。
つぎにその額を3分の2にすれば、1日当りの傷病手当金の額が出ます(この際に1円未満を四捨五入します)。
Aさんの1日当りの傷病手当金の額(C)は、
6390円×2/3=4260円
となります。
さいごに②労災保険の休業(補償)給付については、「休業給付基礎日額」の60%に相当する額が、1日分の②労災保険の休業(補償)給付の額です。
そして、休業給付基礎日額は、原則として、労働基準法12条の「平均賃金」に相当する額とされ、この「平均賃金」とは、交通事故の発生した日以前の3ヶ月間の賃金の総額をその期間の総日数(暦日)で割った金額のことです。
Aさんの1日分の②労災保険の休業(補償)給付の額について計算してみましょう。
まずは、休業給付基礎日額ですが、これは1円未満切り上げですので、
60万円(2019.7~9の賃金総額)÷92日(2019.7~9の総日数)=6522円
そして、1日分の②労災保険の休業(補償)給付の額(C)は、
6522円×60%=3913円(1円未満切り捨て)
となります。
なお、ここでは計算を簡単にするために、2019.7~9の給料を毎月20万円で計算していますが、実際には時間外手当等の各種手当や欠勤控除等もあって、月給制であっても毎月同じ金額であるとは限りません。
平均賃金の計算は、賃金総額や総日数に何を含めて何を含めないのかというのが問題になってきます(時間外手当は賃金総額に含めるのが原則ですし、欠勤控除の扱いについては最低保証額との関係で発展的な知識が必要になるのでここでは詳しくは省略します)。
平均賃金に関して少し余談ですが、交通事故の事務をやっていると、弁護士の先生から「へいちん(平均賃金の略語)で計算してください」などと指示を受けることがあります。
この場合の「へいちん」は、労働基準法12条の平均賃金というよりは、逸失利益の計算などで使う賃金センサス(賃金構造基本統計調査)の平均賃金を指していることが多いので、よく確認しておいてください。
(D)支払(支給)額
まずは、休業損害ですが、Aさんの場合、実損全額として60万円としておきます(実際に弁護士の先生が争われる際には、色々な要素を考慮されて、これよりも高い額を請求することもあると思いますが、そこは考慮せずにおきます)。
つぎに、①健康保険の傷病手当金ですが、傷病手当金には待期期間として連続した3日間が必要になりますので、Aさんの場合10.1~3の3日間は待期期間として傷病手当金は支給されず、10.4~12.31の89日分が支給されます。
したがって、Aさんの①健康保険の傷病手当金の支給額は、
4260円×89日=37万9140円
となります。
さいごに、②労災保険の休業(補償)給付ですが、こちらも待期期間が3日必要(連続している必要はないですが)なので、Aさんの場合には89日分として、
3913円×89日=34万8257円
となります。
ここでちょっとした豆知識なのですが、労災保険の休業補償給付(業務災害の休業補償)は、労働基準法の休業補償に相当するものです。
そして、休業補償には待期期間はないので、休業日初日から使用者は休業補償を支払わなければなりません。
つまり、業務災害の場合、休業補償給付が給付されない待期期間3日分については、使用者が労働基準法上の休業補償を労働者に払うことになります。
もしAさんの交通事故が「業務災害」(自宅から出張先に向かう際の事故など)であった場合には、待期期間3日分である3913円×3日=1万1739円は使用者がAさんに支払わなければならないというわけです(「通勤災害」の場合にはその必要はありません)。
(E)賞与の減額、(F)上乗せ額
Aさんの場合、交通事故によって12月の賞与が20万円減額されています。
休業損害の場合は賞与の減額分20万円も賠償されるのが原則です(どうやって証明するのかという問題はありますが)。
これに対して、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付では、この賞与分の減額を給付額に反映させる仕組みはありません(例外として「賞与」という名目であっても、標準報酬月額の算定や平均賃金の算出の際に考慮されるものもありますが、Aさんの場合のように1年に2回の賞与はそれに含まれないのが原則です)。
(E)賞与の減額については、休業損害の場合にだけ計上することになります。
ところで、このお話をすると、「労災保険にはボーナス特別支給金っていうのがあると聞いたのですが」という質問をされることがあります。
「ボーナス」なうえに「特別」とまでついている「支給金」なので、なにやらすごくお得な制度のように聞こえて気になるところです。
これはたしかにそのとおりなのですが、残念ながら、②労災保険の休業(補償)給付には、いわゆるボーナス特別支給金の制度はありません(これがあるのは、傷病(補償)年金、障害(補償)給付や遺族(補償)給付などの場合です。障害(補償)給付や遺族(補償)給付については、逸失利益の際にお話することになると思います)。
ただし、労災保険の給付には、ボーナス特別支給金とは別に「一般の特別支給金」とよばれるものがあり、②労災保険の休業(補償)給付にも「休業特別支給金」という制度があります。
これが、(図1)の(F)上乗せ額にあたる部分で、1日当り、「休業給付基礎日額」の20%に相当する額とされます。
Aさんの場合、
1日当り:6522円×20%=1304円(1円未満切り捨て)
89日分:1304円×89日=11万6056円
となります。
このように労災保険では②労災保険の休業(補償)給付と休業特別支給金を合わせると、休業給付基礎日額の80%が支給されることになります。
「労災は休業8割補償」などと言われるのはこのためです。
(G)最終的な支払(支給)額
Aさんに対する最終的な支払(支給)額をまとめると
休業損害:80万円
①健康保険の傷病手当金:37万9140円
②労災保険の休業(補償)給付:46万4313円
となります。
損益相殺について考えてみましょう
休業損害、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付の3つとも、同じ交通事故を原因としており、しかも、同じくAさんのもらえなかった賃金を対象としています。
このような場合、当然ですが、二重三重に同じものをもらうわけにはいきません。
①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付の関係については、すでにお話したように、②がもらえるときには①はもらえないという関係になっていますので、二重になることはありません(不正受給の場合は別ですが)。
では、休業損害との関係はどうなるかというと、二重払いを防ぐために損益相殺という処理をします。
その関係をAさんの場合で表したものが、次の(図2)です。
(A)休業損害額-(B)損益相殺=(C)加害者への請求額という関係になっています。
同じ交通事故によって発生した損害(A)から、既に払われた保険給付(B)を損益相殺として控除して、残りの部分を加害者へ請求する(C)というわけです。
ここまでは理解しやすいと思います。
ところが、お気づきかと思いますが、(D)損益相殺の対象外の欄には、②労災保険の休業(補償)給付の方にだけ、11万6056円が計上されています。
これは、(図1)の(F)上乗せ額として給付された「休業特別支給金」11万6056円です。
労災保険の特別支給金は、損害賠償との関係では損益相殺の対象ではないとされているのです。
求償可能性の有無などがその理由とされていますが、詳しくは弁護士の先生に確認してみてください。
その結果、(E)最終的な被害者の取得額については、(B)損益相殺(保険給付として既にもらっている部分)+(C)加害者への請求+(D)損益相殺の対象外(保険給付として既にもらっているものの、損益相殺されなかった部分)となって、①健康保険の傷病手当金の場合(80万円)と②労災保険の休業(補償)給付の場合(91万6059円)で差が出てしまいます。
これは、事実上「休業特別支給金」11万6056円が二重払いされたような形になっています。
なお、業務災害の場合に、使用者から待機期間3日分の休業補償が支払われた場合にも、休業損害の損益相殺をしなければいけません。
さいごに
実際には、①健康保険の傷病手当金、②労災保険の休業(補償)給付の計算を法律事務職が行うことはまずありませんので、これらの「支給決定通知書」等を確認して損益相殺の計算をすることになります。
ただ、今回は「お金」の話でしたので、その仕組みを知ってもらうために、ちょっと細かい計算も含めてご説明しました。
今回みてきたように、休業損害の損益相殺については、②労災保険の休業(補償)給付の休業特別支給金に特に気をつけてください(今回は触れませんでしたが、労災保険の傷病(補償)年金の場合も同様です)。
②労災保険の休業(補償)給付の支給決定通知には、支給決定金額の欄に「特別支給金額」が書かれています。
この部分を損益相殺しないようにしなければいけません。
筆者が法律事務職を始めた最初のころに、この仕組みをよく理解せずに全額を計上して、弁護士の先生からやり直しを指示されたことがあります(お恥ずかしい)。
「赤い本」(2019年版では上巻260ページ参照)やその他のマニュアル本を読んでも、そもそもの労災保険の仕組みを知っていなければ、特別支給金等と言われてもピンとこないんですよね。
この記事が少しでもお役に立てれば幸いです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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